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ジュエリーの日本史「歴史上ジュエリーが消失している国」芸術レベルの実用品

ジュエリーの日本史「歴史上ジュエリーが消失している国」芸術レベルの実用品

ジュエリーの日本史「実用品を芸術品に仕上げる」

歴史上ジュエリーが消失している国、日本の装飾品の歴史

 

日本的なコレクションをジュエリーで表現するとしたら何にしようかなと考える。

例えば日本古来の花とか植物とか、着物とか家紋とか。モチーフだけでいうと普通だいたいこんな感じだが、櫛やかんざしも、文化を感じられる日本的モチーフとして好きだなと思った。

 

モチーフ引用して「これ」って形で表現するよりも、もうちょっと深い概念とか文化とかそんなものを込めたくて、歴史とか由来とかそういうものまで調べてしまう性格なので日本の歴史の中の宝飾を調べてみた。

 

日本の装飾品の起源

古くから日本では装飾品において面白い現象がある。櫛やかんざし、鏡、武具や刀に至るまで「実用品を高いレベルで装飾的な芸術に仕立て上げる点である。これは世界でも非常に珍しい。

 

一方で純粋な装飾品としてのジュエリーは、日本の歴史の中でも世界の装飾具の歴史と同様に縄文時代から動物の骨や貝などを利用した装飾品が存在した。それらは腕や足や耳を飾るものですでに現代のジュエリーの体を成していて、呪術的シンボルとしての特徴を持つ。

 

弥生時代になり農耕文化の普及で定住と財産の安定化が進んでからは、徐々にそれらは薄まっていくようだ。装飾品自体、宝物を持ち歩く手段としての機能もあるので、古来からじゃらじゃらと装飾する文化圏や「手に収まる家宝」として装飾品を持つ民族は移動移住が多い特徴がある。

 

 

飛鳥時代からの現存最古の歌集『万葉集』にも真珠への言及があるが、平安時代以降は着物による色彩表現へとうつる。奈良時代から明治時代まで、歴史上はこのような装身具は、日本では一度消失したと言われている。

 

wikiにはこんなことが書いてある。

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安土桃山時代に来日したポルトガル宣教師ルイス・フロイスは、『日欧文化比較論』のなかで「我々の間では真珠は装身具の材料に用いるが、日本では製薬のために搗き砕くより他には使用されない。また、ヨーロッパの女性がつける宝石のついた指輪なども一切つけず、金、銀で作った装身具も身に着けない」と述べた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・wiki引用

 

 

消失した理由は諸説ある。着物が華美だったので装飾具は不要になったとか、湿気が多く水にも触れるから嫌厭されたとか。

 

倹約を推進する仏教の普及や、たびたびの奢侈禁止令などで豪奢な生活が禁止された歴史の影響は大きいと予想される、

 

江戸時代になる頃には天保の改革で奢侈禁止令が発令たが、権力者の間ではタバコいれや印籠など、実用品の目立たない箇所に華美な装飾を施す文化が浸透し、「粋」の文化が成熟した。

 

 

なお鏡や刀、器など実用的な装飾品は中国にも見られたが、あちらは首飾りも耳飾りも消失することなく存在し続けている。

 

そうした時代の中で日本の装飾品は、一部キリシタンと交流があった人たち、アイヌなど少数民族の中では引き続き愛用される。日本でのジュエリー文化は、政府の影響下から外れているか、外れようとしている人たちの間の文化ともいえる。

 

 

…もし日本の歴史の中で装身具が、ジュエリー文化が育まれ続けていたら。例えば着物が全盛期平安時代指輪の文化があったとしたら。

花を咲かせた枝に恋文をつけて愛する人へ送った平安の人であれば、きっと指を彩るジュエリーだってロマンティックなものに仕上げたに違いない。貝合わせ、双六や以後も出来上がった平安時代なら、十二単の長い袖の先から指輪をつけた指先覗くなんて素敵だと思うけども。

 

 

 

 

 

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